やや上の部分に一筆書きの1本の線をぐにゃぐにゃと上下させて、コレが北に見える讃岐山脈の写生だと思っていた。
讃岐山脈と言えども、小さな山が幾重にも繋がってるとは、つゆ知らず。やや小高くて独立峰に見えるのは大麻山だけだもので、大山さんから大麻山まで、1本の線で上下させれば事足りるって思ったのです。
でもマア、コレを観て、なんだコレは、ミミズか波かって、先生も先生のまわりも笑ったんだよねえ!そう其れが私の絵画や美術についての劣等感の始まり。写生は見たままを描けって言ったじゃないですか!見たまま描いたのに山並みとは認めて貰えなかった。
それ以来、絵画美術に興味も関心も示さず生きて来たけれど、長い年月を他国で過ごして、故郷の地に帰って見れば、今も讃岐山脈は1本の線を上下させて描くしか無いと思うのです。
特にコレから、黄砂だ、春霞だと言う季節の讃岐山脈は、どう見ても1本の線でひと続きの稜線を描くしかない。ね、見て下さいよ。この山。1本の線でしょう。写生でしょう。見たままでしょう。
子どもの頃の私は正しかったのだ。劣等感を抱いた人生を返してと言いたいが、その相手は、もう鬼籍でしょうし、どうしようもない。
でまあブツブツと呟くのです。故郷の山に向かって言う事なし今も大山さんから大麻山まで、一本線だよ〜ってね。明日の心でーす。