桜桃が🍒咲いて、次は桃が咲いてくれると待っていたら、その横にあるアーモンドの花が、一足先に咲き始めた様です。コレ、こんな感じでサクランボの花は白っぽいのですが、アーモンドは、蕾が赤くて、開くと花弁の周りだけ紅く薄紅色で透き通った感じがするのです。だものですから、初めて化粧した娘さんが恥じらう様に見えたもので、冒頭句となりました。アーモンドの花と言う長いフレーズが扱いにくいので、チョッと平凡、月並み句になりましたが、マアアーモンドの花に免じてお許しを。明日の心でーす。
車駆る前に阿讃の山笑う
昨日は久しぶりに打ちっ放しに出掛けました。よく晴れていたので、気持ち良く、さあ小1時間は打ったでしょうか?しかし、しかし、気温が低かったと見えて、水洟が出て、まるで子どもみたいだと思いながら、車に戻ったら、アラ不思議、ヤッパリ少し冷たかったのでしょうか?
ハイハイ風が冷たかったのかも知れません、車からの視界は良好、暖かくさえ見えるのでした。とまあ、それはそれとして、帰り道に六条大橋を北に渡って来たら、前面に阿讃の山並みが広がります。その山肌がヤケにクッキリはっきりしているのです。木々が芽を出したり葉を繁らせ始めたのでしょうね!山笑うとは、この事かと思えたので、冒頭句となりました。山眠るから、山笑う季節へ動き始めたのでしょうね!明日の心でーす。
打ち振れば如何なる音色花馬酔木
今馬酔木が満開ですね!白はまだチョッと早いかなとも思うけれど、赤花の方は、もう十分咲き切ったようで、今年は房の長さが短いと思ったのですが、どうやら例年通りの長さに近付いて来た様です。コレだけ垂れ下がると葡萄のデラウエアよりも長いかも知れないと思ったりもして「手に余る房の長さよ花馬酔木」とも思ったりしたのですが、とにかく今が見頃には違いないですよね。光線の具合で、色合いも変化して、結構いい花だよなあとも思ったりしています。明日の心でーす。
菜花道行けば六条渡しの碑
第10の堰付近の菜の花の拡がりは昨日載っけましたが、そう、それは吉野川北岸の話です。菜の花と第10の堰を北岸から眺めるだけで無くて、南岸はどうだろうかと見に行った事が有るのです。
六条大橋を渡って左に折れしばらく行くと六条渡しの跡があって、碑が建てられていました。あゝココが渡しだったとわかり、母に手を引かれて市楽の叔母の家に行った事を思い出したのです。
もちろん六条大橋なんて無い時代で、叔母の次男がシベリア抑留から、無事帰ってきたので、お祝いをするとの事での集まりだったのですが、広い河原を随分歩いて、渡し船に乗って、川底まで見えた綺麗な水。
何と言う事もない石柱だけれど、それによって、想い出されることの多い記念碑ですよね!当時は歩き遍路に行こうとしていて、足を鍛えようとあちこち歩いていたのですが、丁度今頃の話。もう散歩も歩きもしていませんが、きっと今頃は菜の花中で、ひっそりと渡しの碑が立っている事でしょう!明日の心でーす。
咲き誇る菜花足下に第10堰
久し振りに、吉野川北岸道路を走りました。高くなった堤防の上の道ですから、慣れて居ない私は、ゆっくり走ります。周りの景色や川の流れを眺めたりしつつだったので、余りにも遅いと思ったのでしょう!2、3台の車が対向線に出て追い越して行きました。
これは危ない、事故を誘発してはいけないと、少し道の広がったところで車を停めて、ゆっくり川の流れを眺めたのです。そう丁度第10の堰付近ですよね。
でもって驚かされたのは、菜の花の海、堤防の下から流れのそばまで、黄色い菜の花が続いていたのです。
ここに、こんなに菜の花が咲いて、驚くとともに、もう菜の花を畑で見ることが無いんだよなあ!この第10の関で水を調節して、旧吉野川にも適度な水を流すと言う調節機能は、今も生きてるのだろうかなど思いつつ、冒頭句となりました。明日の心でーす。